伝わることの重要さ

母校で教育実習をさせて頂いた。
私が受け持った教科は世界史。
歴史が好きな私は張り切って授業で使う教材を集めたり、資料をまとめたりした。

初めての授業を思い浮かべては不安な気持ちになったりもした。
その不安は思わぬ形で的中した。

授業の内容は完ぺきと言えるほど調べて授業に臨んだ。
そこで私がぶつかった壁は、どんなに調べ物をしてきて知識があったとしても、伝える力がないと聞いてもらえない。

聞いてくれる生徒は目の前にいるのに、理解してもらえないという壁だった。

どうしても乗り越えられずに、指導教官に授業をしてもらって、見学をしたこともあった。
その時私は初めて、自分の授業の板書を綺麗にノートに書いてくれている様子を見た。
それを見て、伝えたいことを受け取ってくれていることを嬉しく思い、伝えきれていないことが悔しくて涙が出た。

それから教職の道へは進まなかったが、伝えることの難しさ、重要さは十分認識している。
自分から発信することだけではない。
相手がきちんと理解して、初めて伝わったことになる。自己満足で終わらせたくはない。

会社員として少し早く社会人デビューした友人も言っていた。
なかなか、お客さんにサービスや商品の良さを伝えるのは難しいものであると。
だけども中には、一生懸命に熱心に聞いてくれる人もいるけれども、雑談が多い方が、お客さんも逆に聞いてくることが多い。

女子校にやってきた若い先生

私は中学高校と六年間、女子校で育ちました。
学校生活はとても楽しく、女だらけの気を使わない中で自由気ままに生活していました。
男の人はというと、先生くらいしかいませんでした。

先生たちは大体みなさん年齢がかなり上で若い先生はあまりいらっしゃいませんでした。
多くの先生が教育実習に来た元生徒と結婚していたので、生徒だけでなく先生たちも世界が意外と狭かったんだろうなと今は思います。
そんなある年、とても若い新任の男の先生が入ってきました。
しかし今まで若い男の人に免疫のなかった私たちはなんだかとてもやりづらい感じがしました。
若い先生は受験対策をしっかりとし、授業でもここが受験にでるよとポイントを教えてくれ、絶対に若い先生の方が勉強内容は良かったのですが、おじいさん先生に慣れていた私たちにはなんとも不思議な日々でした。
決して嫌いではないのですが、ちょっと照れがあるようなお互いの距離感でした。
そんな先生の授業が体育の後の時間にありました。
みんな体育で疲れていたので、先生が廊下にいる時に、まだ着替え中ですと言って外で待っていてもらいゆっくり着替えていました。
私はそんなことになっていると知らず、しばらくして廊下に出たら先生が立っていてびっくりして何してるんですかと聞きました。
着替え終わるの待ってるんだと言われましたが、実際はみんな中で早弁をしていました。
今思うとなんだか申し訳なかったですが、先生は笑っていました。
そんな先生も私の同級生と結婚しました。
先生を好きだった子がいるかと思うとさらに申し訳ない気持ちです。

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