世が世ならお姫様
私の家には家系図があり、家系図の一番上にはお殿様の名前が記されています。
「世が世ならお前は姫様だったんだぞ」父によく言われたものです。
今は熊本県に城跡だけが残っています。
父の話では幼少の頃は、刀ダンスが家にあり、殿様から褒美として頂戴した刀がいくつもしまってあったそうです。
同じく褒美で頂戴した掛け軸は今も実家にいくつかあります。
しかし保存状態も悪く、手を加えないといけないほど傷んでいます。
それでも家宝ですから、代々受け継がれていくようです。
私が結婚する時に、主人のお父様が歴史に大変興味がある方で、私のご先祖様が祀られている神社に案内してくれたり、城跡にも連れて行ってくれ、いろいろして下さいました。
母は父と結婚して以来初めていろいろな事を知ったようで、お父様に感謝していました。
ご先祖様に恥じないように私も頑張らないといけません。
いろいろと迷惑をかけてきましたので。
家系図と家族というもの
家系図というものは、一体どうやったら手に入るのだろうか。
歴史上の人たちがみんな持っている家系図。
果たしてこれは一般的なものなのだろうか。
どう考えても、我が家にそんなものはない。
おそらく家中どこを探しても出てこないし、かつてうちにあったためしもないだろう。
そもそも普通の家に必要であるとも思えない。
うちは別に先祖に歴史の授業で習うような偉い人もいないだろうし、たいした家柄でもないからきっとみたって記憶にもとどまらず、すっと目で追って終わるだけだろう。
なぜそんなものがあるのか。
おそらく昔の人は今より、家の名前を子孫につなげて、家族、というより家を守っていく、ということを大切に考えていたのだろう。
歴史的に見ると、かつて苗字を持てたのは本当に高貴な家の人たちだけだった。
それが武士の世の中になると、彼らも苗字を名乗ることを許される。
ある意味力で手に入れられたのが、苗字、ひいては権力であったのだろう。
だからそれを守るためにきちんとルーツを伝えていきたかったのかもしれない。
先祖が自分の力で立身出世した証。
それを守るためなら個人の人生なんて毛ほども省みなかった時代。
今の日本人は苗字を軽視しすぎているかもしれない。
いつかの先祖が必死の思いで手に入れた苗字、きっと色んな犠牲をはらって守ってきたこの苗字。
どんなに平凡でありふれているからといってがっかりしてはいけないのかもしれない。
もしも私がこの苗字を次につなげられなかったら、わが家督はここで断絶ということになるかもしれないのだ。
わが家督が。
なんていっても現実味がないのは、やはり我が家は庶民の家だからなのである。