オープンキャンパスの実行委員

この秋、来年の大学受験生を対象にオープンキャンパスの開催が決定しました。
これまでは地元の方も含めて、誰でも参加型のオープンキャンパスを開催していました。

しかし、昨年のアンケート結果を参考に、大学受験生だけのオープンキャンパスの実施が検討課題に挙げられ、多数決で決まりました。
我々も初めての試みに挑戦です。

主催側としては対象が絞られている方が、企画もスムーズで予算も組みやすく助かります。
実行委員会のメンバーの他に各ゼミのリーダーにも協力を募って内容を練っている段階です。

毎日話し合いは夜になる事もありますが、それはそれで交流も深まり、友人も増えました。
私はステージイベントの担当です。

卒業生に地元のライブハウスで活躍しているアーティストがいるので、出演交渉に明日行きます。
OKがもらえるよう頑張ります。
社会に出る上で、商談を体験できることは非常に有難いことですし、どうやってマッチングするかも頭を悩ませますね。

こうしたこと、営業職は毎日やっているのかと考えると、改めて大変だということが実感できます。
作戦を練ることは楽しいのですが、言いたいことを上手く伝えられるか、そしてスムーズに契約にこぎつけるか、確かにスリリングです。

ただ、あまり作り上げたストーリーを踏襲すると、本来の目的であるイベントの成功ということから、離れていくので注意しなくてはならないですね。

高度な英語力や日本語力が必要な作業

私は大学受験の際、恩師の教えに従い、授業で扱う長文の全訳と要約を毎回欠かさず行っていました。
よく受験英語は効率が1番だとおっしゃる方がいますが、たとえ遠回りに感じても泥臭く取り組むべきだと感じたのを、今でも覚えています。
全訳には、英語の文法・単語を知っていることはもちろんです。
が、何より大事なのは日本語力だと思います。
頭で理解して、訳せたつもりになっていても、いざ紙に書き出そうとすると意外とできません。
第三者が理解できるカタチに変換することが、翻訳というものであるのなら、日本語を思い通りに操れれるようにならなくてはならないのだと、全訳に取り組むことで気付かされました。
英語に子供のうちから触れさせようという流れは大変良い動きだと思います。
しかし、そのアプローチの仕方にはあまり賛同できません。
英会話の要素が強いように感じるからです。

きちんとした文法を教えずして、崩れた英語表現ばかり学ばせるのはいかがなものでしょうか。
たしかに、実際に使うのは英会話であるのだから、良いではないかと言う意見はもっともらしく感じます。
しかし、英語の会話表現というのは、英語分野の表層にすぎません。
表層だけの理解は、日本の英語教育を悪い方向に進めてしまうのではないかと、不安でなりません。
せっかく早期から学ばせるのであれば、時間をかけ、じっくり基礎から教えてあげる方が良いでしょう。
それが、日本の英語力を本物たらしめる1番の近道なのではないでしょうか。

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