イタリアの教会
会社の同僚と長期休暇をとってイタリアに行きました。
初日は教会や寺院を巡ったのですが、人気のある教会は朝から列を作って並びました。
ステンドグラスの美しさとバロック建築の重厚感を直接目で確かめられたことは本当に良かったです。
巡礼者が各地から訪れ、厳粛な雰囲気で、空気がそこだけ違うとはこのことだと思いました。
教会にはミイラが数体保管してありました。
ミイラを見るのも初めての事です。
この教会の歴代の牧師さんをミイラ化して保管しているそうです。
透明なガラスの棺に豪華な衣装をまとったミイラは、かなり地位の高い牧師さんでしょう。
そして全てのミイラは首から金の十字架をぶら下げていました。
教会のパイプオルガンの音色が響く中、お祈りをする人、泣きじゃくる人、みんなそれぞれですが、悩みをかかえ罪をつぐなうためにここに集まってきています。
しばらくの間、私も友人も座ったままお祈りの言葉に耳を傾け、神聖な時間を過ごしました。
教会に足繁く通う熱心な信仰深い人は、日本では珍しいのではないでしょうか。
元々日本は、宗教に関しては、一種の偏見も持っていますし、実際に、怪しげな団体や事件を起こした団体もありますので、そういう見方をされても仕方がない事でしょう。
無関係な人々を巻き込むやり方は、非常に迷惑ですよね。
手のひらを人に向かって、何やら唱えたところで、何も変化は無いものです。
あったとしたら偶然でしょう。
イタリア観光を味わう
観光地に行けば誰もが郷に入ったら郷に従えという気持ちを持つことが旅を楽しくする一つでもある
イタリアに行った時の思い出です。
観光名所とされる真実の口で私の同じくらいの年齢の日本人の女性が友人に支えられ泣いているのを見かけました。
心配になって、近づくと写真を取っている間にかばんからお財布がなくなってしまったそうなのです。
日本ではそんなことありえないような事件なのですが、添乗員さんもそう言う話はよくある、仕方がない、パスポートが無事だっただけでもよかったと言っていました。
その時に添乗員さんがこんなことも言っていました。
観光名所に来るのは大体が旅行客だ。その中でも一番危機管理能力が低いのは日本人。
狙われやすいから注意してくださいと言っても、やはり日本人が狙われてしまうということでした。
日本ではもし、写真を取っている間に財布がかばんから落ちそうになってしまった人を見かけたら、お財布が落ちますよと声をかける人もいるほど親切国だと思います。
そういう国の人こそ、狙われやすいとはすごく残念な気がしますが、私だっていつそんな目に会うかわかりません。
その話を聞いた日の夜、早速ホテルに戻りお財布の中身を小分けにしてかばんに入れたり自分のチャック付きのジャケットに入れたりしました。
そうです、郷に入ったら郷に従え。
自分の身は自分で守るということも、観光地に行けばその土地に合わせるということも当たり前のことです。
否定してばかりではせっかくの観光も楽しくなくなってしまいます。
イタリア流の観光の仕方を今日は学ぶいい機会だったと思い、私は次の日美味しいワインを飲みに行きました。
観光は自分に合うものを探すだけではなく、自分がその風土に合わせる発見や楽しさもあるのかもしれないと改めて実感しました。