同意
自分の意見に同意が得られると、人は安心するものです。
例えば、子どもが、自分と友達とを比べてひがんでいたり、抗議をしたりしていた時に、同意をしていることを明確に伝える術があります。
子どもが。「○○がほしい」と言ったならば、「そうね、○○がほしいね。」と、同じ言葉を使って返すのです。
その後に、それを与えられない理由などを述べるのです。
子どもは、初めに自分の気持ちを理解し肯定をしてもらえたことで、気持ちが落ち着きます。
頭ごなしに、「ダメ。」なんて言うのは、当然ながら逆効果なのですが、「ダメ」と言った自分の方の気持ちも、不快なものになるとは思いませんか?
子供の気持ちに同意する意見を言うことで、お互いに仲間意識のようなものが生まれ、気持ちが落ち着くのでしょう。
それから、もっとも言ってはいけないのが、「お金が無い」という大人の事情の押し付けです。
子どもの頃から、お金のあるなしを基準とした判断を刷り込まれた結果、大人になっても全てをお金のあるなしで判断してしまうようになります。
こんな気持ちの悪い子どもに育てないものですかね?
お金のあるなしは、大人の都合です。
では、お金があれば買っててくれるだろう、という勝手な期待を子どもが抱くということに、気付かないもものなのでしょうかね、現代の親は。
お金が無いと言い続けるうちに、期待されない親になります。
そして約束を守らない親、裏切る親のレッテルを貼られ、思春期に爆発するんですよね。
なるべくシンプルに伝えること
渡航先出身の人と知り合いになりそのネイティブランゲージをそのなまりで学ぶこと。そうでないと独特のくせやいいまわしがわからないことがある。
中米グアテマラの田舎町を一人で旅行していたとき、自分のスペイン語には自信があったのですが、グアテマラでのスペイン語圏の独特の言い回しがわからず、スペイン語での会話のなかで同い年くらいの男性に告白されていることにきづかなかった。
それに気づかず、その男性のバイクの後ろにのってしまったため、同意した?とおもわれてしまい、キスを狭まれたりしました。
そして、公園んょうな森につれていかれてしまいました。
大声で強烈にノーノーと連発し、押し返したり、おこったかおをしましたが、どうにもこうにもわかってもらえず、公園で、押し倒されむりやりレイプされそうになってしまいました。
土地もわからずしりあいもいないところで、警察もはなしをきいてくれなさそうだったので、助からないかもと思いましたが、一度黙らさせ、落ち着いて、とってもゆっくり、できるかぎりシンプルなスペイン語で丁寧に説明し、心から謝ったら、コミュニケーションミスであったことが、どうにか伝わりました。
そして無事に宿まで返してもらい、さよならできました。
そのときはほんとうにこわくなって、レイプされて殺されてしまうのではと思うと人生が終わってしまうのかといろいろかんがえてしまいました。