たまには町から離れて
いつも、仕事や家事の毎日で、時々疲れていることすら忘れてしまっている時はありませんか?
たまの休みは自宅でのんびりされるのもいいですが、ゆっくり過ごすことは現実を忘れることでもあるかもしれません。
自宅で休んでいても仕事の事が気になったり、なんか家事をしていないと落ち着かない事などが出てきて、身体は休めても心が休めなかったりします。
そんな時は、自宅を離れて、自然の力を浴びるのが一番だと言われています。
自然の力は無限大で、「病は気から」とも言われているように、どんなにいい薬を飲んでも気持ちが沈んでいては治るものも治りません。
一度気持ちをリセットしたい人、最近楽しい事や怒った事など喜怒哀楽を表現する機会がなくなった人などは、自然を感じられる場所。温泉や海山へドライブなど旅行に出かけてみるのもいいでしょう。
人ごみが多いところは、気持ちが忘れられても身体が疲れてしまいます。
人ごみの少ない田舎でもいいかもしれません。
いい場所が見つかったら、家族で一年に一回はその場所に旅行するなど決めておくと、その日を楽しみに毎日を過ごせるでしょう。
都会に憧れて地元を離れても、やはりどこか地元の事が頭に離れない人は多いようです。
Uターン就職や転職をきっかけに地元に帰ることになるのでしょうか。
気心知れた古い友人や知人と、また新しい気持ちで接することが出来るというメリットもあるみたいですね。
お互い、年取ってますから。
コミュニケーションも深くなっていくことでしょう。
近所づきあいについて
近所づきあいについて、私の所感を述べたいと思う。
私は田舎町の中でも昔からある集落の出身のため、近所づきあいをするのは当然だった。
お葬式や様々な行事で隣組という近所のグループがお互いを手伝った。
普段から畑で作った野菜などをおすそ分けするのが普通だったし、インターホンを鳴らさずに突然近所の人が入ってくることも普通だった。
都市に住む人たちは近所づきあいをあまりしないと言われている。
確かにそうだとは思う。
私は結婚してから田舎町を出て、都市に住むようになった。
実家にいたときのような親密な近所づきあいはなくなった。
だからと言って、実家にいたときのように親密な近所づきあいを積極的にしようとは思わなかった。
田舎町には田舎町、都市には都市のルールがあると思ったからだ。
だから、近所の人とは会えば挨拶をし、ちょっと立ち話くらいをすることはあったが、それ以上は踏み込まなかった。
しかし、その状態に疑問を投げかける出来事があった。
それは、お向かいの奥さんが私の家の前で倒れていたことだ。
頭から血を流し、意識はない状態だった。
第一発見者は私ではなく、近所の奥さんだったが、私が仕事から帰宅すると自分の家の前に救急車がとまっていたから驚いた。
1つ困った点は、奥さんの荷物の中から携帯電話が見つかるまで、ご家族の方に連絡が取れなかったことだ。
私も、外で様子を見守っていたご近所さんたちも、ご家族の連絡先を知らなかった。
これはいけないと思った。
いくら近所づきあいが希薄なのが普通だとしても、連絡先くらいは知っておくべきだった。
もしもこのようなことが再びあって、携帯電話を持っていなかったり、あるいは携帯電話にロックがかかっていた場合、ご家族が帰宅されるまで連絡が取れないのだ。
都市部は近所づき合いをあまりしないけれども、やはりある程度は踏み込むべきなんだと思う。